亀田八幡宮
カメダハチマングウ
■観光説明板
社伝によれば、明徳元(1390)年、河野加賀守森幸が越前敦賀(福井県〉の気比神宮から、祭神の八幡大神(応神天皇)を勧請したのが始まりという。本殿と拝殿は慶長8(1603)年に建立されたと伝えられている。
17世紀に入って亀田川河口は、このあたり一帯の中心地となり、神社・仏閣が整備された。亀田八幡宮には、延宝2(1674)年の棟札が現存している。
現在の社殿は昭和39(1954)年に造られたものである。それまであった社殿は現在でも神輿殿として残されているが、文久3(1863)年に改築された市内で最も古い木造建築である。箱館戦争時に受けたという銃弾の跡が残っている。
また、第一の鳥居は、弘化4(1874)年に松前藩最後の箱館奉行となった工藤茂五郎が奉納したものである。
函館市
KAMEDA HACHIMANGU SHRINE
According to the archives of the shrine,Kameda Hachimangu Shrine dates back to 1390 when it was dedicated to the spirit of Hachiman Okami (The Emperor Ojin) from the mother Kehi Shrine in Tsuruga Echizen.(Fukui Prefecture) It is said that the main shrine and the hall of worship were built in 1603.
In the 17th century the area around the mouth of Kameda River became the center of this district and shrines and temples were built.The Munefuda (a wooden plate on which the name of the deity and the date of the foundation are written) of 1674 is still kept in Kameda Hachimangu Shrine.
The present shrine was built in 1954.The former one which stands next to it was renovated in 1863 and is one of the oldest wooden buildings in Hakodate.This former shrine is still used to house a portable shrine.You can find some bullet marks on the building made during the Hakodate Battle.
The first Torii was dedicated in 1874 by Kudo Mogoro who was the last Hakodate Bugyo in the Matsumae clan.
CITY OF HAKODATE
この{神社(じんじゃ)}の 資料(しりょう)[{歴史(れきし)}が{書(か)}いてある{紙(かみ)}]には、こう{書(か)}いてあります。「1930{年(ねん)}、{河野加賀守森幸(こうのかがのかみもりゆき)}が{福井県(ふくいけん)}の{気比神宮(けひじんじゃ)}から{八幡大神(やはたおおかみ)}を{迎(むか)}えました。そして、この{建物(たてもの)}ができました。」その{後(あと)}、1603{年(ねん)}に 本殿(ほんでん)[{神社(じんじゃ)}の{中(なか)}で、{祭(まつ)}りの{神(かみ)}がいる{建物(たてもの)}]と 拝殿(はいでん)[{神社(じんじゃ)}の{中(なか)}で、{神(かみ)}に{祈(いの)}るための{建物(たてもの)}]ができました。1600{年(ねん)}{頃(ごろ)}からは、{亀田川(かめだがわ)}の{海側(うみがわ)}に、{人(ひと)}がたくさん{集(あつ)}まりました。そして、{神社(じんじゃ)}・{寺(てら)}ができました。{亀田八幡宮(かめだはちまんぐう)}には、1674{年(ねん)}の 棟札(むねふだ)[{建物(たてもの)}の{歴史(れきし)}が{書(か)}いてある{物(もの)}]が{今(いま)}も{残(のこ)}っています。また、{今(いま)}の 社殿(しゃでん)[{神社(じんじゃ)}の{中(なか)}で、{神(かみ)}がいる{建物(たてもの)}]は、1954{年(ねん)}にできました。{前(まえ)}の{社殿(しゃでん)}は、 神輿殿(みこしでん)[{祭(まつ)}りの{時(とき)}に、{神(かみ)}が{乗(の)}るための{乗(の)}り{物(もの)}がある{建物(たてもの)}]として{今(いま)}も{残(のこ)}っています。これは、{函館(はこだて)}で{一番(いちばん)}{古(ふる)}い 木造建築(もくぞうけんちく)[{木(き)}でつくった{建物(たてもの)}]です。1863{年(ねん)}に{新(あたら)}しく{直(なお)}しました。また、ここには 箱館戦争(はこだてせんそう)[{函館(はこだて)}で{始(はじ)}まった、{戊辰戦争(ぼしんせんそう)}の{最後(さいご)}の{戦争(せんそう)}]の{時(とき)}に{少(すこ)}し{壊(こわ)}れた{場所(ばしょ)}が{残(のこ)}っています。{入口(いりぐち)}から{一番(いちばん)}{近(ちか)}い 鳥居(とりい)[{神(かみ)}の{世界(せかい)}への{入口(いりぐち)}]は、{工藤茂五郎(くどうしげごろう)}が{送(おく)}りました。{工藤茂五郎(くどうしげごろう)}は、1874{年(ねん)}に 松前藩(まつまえはん)[{昔(むかし)}、{北海道(ほっかいどう)}の{松前(まつまえ)}で{政治(せいじ)}をした{所(ところ)}]で{最後(さいご)}に{函館(はこだて)}の{政治(せいじ)}をした{人(ひと)}です。