北海道写真発祥の地碑

ホッカイドウシャシンハッショウノチヒ

北海道写真発祥の地碑■碑文

(表)

北海道写真発祥之地

(裏)

木津幸吉翁は越後新発田の人 安政の末函館に来り仕立屋を業としたがロシヤ領事より写真の術を学び 元治元年(一八六四)その頃新地新町と呼んだ船見町九十番地に北海道最初の写真場を開いた 我が国最初の写真師上野彦馬の創業に遅れること僅か二年であった 今年は恰も百年に当るのでこの碑を建てこれを記念する
昭和三十九年六月一日          青木肇
社団法人  日本写真文化協会北海道連合会

■観光説明板

この碑は、昭和39(1964)年に、社団法人日本写真文化協会北海道連合会が建てたものである。碑文によれば、ロシア領事から写真術を学んだ木津孝吉(幸吉)が、元治元(1864)年に写真場を開いてから百年目を記念して建てたとあるが、木津の開業年はいまだ詳らかではない。
とはいえ、明治以前に開業していたことは間違いなく、文久2年(1862)年に日本で初めて開業した長崎の上野彦馬や横浜の下岡蓮杖から遅れること、わずか数年である。
北海道写真発祥の地が函館だったのは、ここが開港場であり、西欧の新技術をいち早く取り入れられたからに他ならない。
なお、木津幸吉のほか、四本研造と横山松三郎も初期の函館写真界にとって、重要な役割を果たした人物である。

函館市

HOKKAIDO’S CRADLE OF PHOTOGRAPHY MONUMENT

This monument was built by The Japan Photo Culture Hokkaido Union in 1964.Though this monument reads that it was built to commemorate the 100th anniversary since Kizu Kokichi,who learned photography from the Russian consul,opened his photographic studio in 1864,the year he actually opened his studio is still unknown.
However,it is certain that he had already started his business before the Meiji Restoration in 1868 and that it was only a few years after the first Japanese photographer Ueno Hikoma in Nagasaki and Shimooka Renjo in Yokohama started their businesses.
Hakodate was one of the first ports open to foreign countries and so new Western technologies were first introduced into Japan from here.That is the exact reason why Hakodate became the cradle of photography in Hokkaido.
Not only Kizu Kokichi,but also Tamoto Kenzo and Yokoyama Matsusaburo played important roles in early Hakodate’s photography world.

CITY OF HAKODATE

■解説

函館における写真の歴史は、安政元年(1854年)のペリー一行の来航にはじまり、随行していた写真師ブラウンが写した写真が函館市中央図書館に残されている。また、ペリー艦隊から少しおくれて入港した、ロシア軍艦ディアナ号に乗船していたモジャイスキーも市中で写真を撮影しており、日本では横浜・長崎と並び、はやくから開港地として写真文化に接することになった。
木津幸吉は、安政末年に越後新発田から足袋職人として渡道し、箱館で仕立屋を営んでいたが、ロシア領事ゴシケーヴィチ(安政5年(1858年)着任)からの依頼で、函館ではじめて洋服の仕立に成功し、店もかなり繁盛していた。写真との関わりは、故郷への墓参に向かう船中で、たまたま写真機を目にし、入手したことにはじまり、その後ゴシケーヴィチや領事館付きの医師ゼレンスキーから現像や焼付けの技術を学んで、新地新町(現船見町)に写真場を開いた。
なお碑文は、開業年を元治元年(1864年)としているが、確証はない。いずれにしても、日本写真界の黎明期に活躍した長崎の上野彦馬や横浜の下岡蓮杖から遅れること、わずか数年であった。
函館では木津のほか、ゼレンスキーに治療を受けた田本研造、下岡蓮杖やゴシケーヴィチから手ほどきを受けた横山松三郎も、早くから写真術を習得して活躍していたが、明治2年(1869年)、木津孝吉が東京へ引き上げる際、田本研造がその道具を譲り受け、会所町で開業している。
この碑は、昭和39(1964)年に、社団法人日本写真文化協会北海道連合会が、「元治元(1864)年」を起点として100年を記念して建てたもので、9月19日に除幕式が行われた。

■参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「函館市史資料集」第46集(函館市史編纂委員会)、『函館市史』通説編第1巻(函館市 1980年)、「函館写真史考(上)」(桑嶋洋一)『地域史研究はこだて』第17号(函館市 1993年)所収

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地函館市豊川町16(グリーンベルト内)
制作時代 昭和
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像