与謝野寛・晶子の歌碑

ヨサノヒロシ・アキコノカヒ

hako014

■碑文

(左)
浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立
待岬の岩かげの土       寛
啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじ
はこだてのこと         晶子

(右)
此の碑に刻んだ歌は、与謝野寛、晶子
夫妻が昭和六年六月六日函館に来遊し
た時の詠草の中から選んだもので、歌
の中の人間は、郁雨宮崎大四郎、啄木
石川一、図書裡岡田健蔵である。
昭和三十二年八月十五日建立
計画 図書裡会
賛助 棒二森屋

■観光説明板

昭和31(1956)年、市立函館図書館の創設者であり館長でもあった岡田健蔵の十三回忌が行われ、その際に彼の雅号にちなんだ図書裡会が結成された。翌32年、同会は棒二森屋百貨店の援助を得て、岡田健蔵を顕彰する意味も込め、昭和6年に来函した与謝野寛・晶子の歌碑を建立した。
晶子の短歌中に岡田先生とあるのが、健蔵のことである。
また寛の作品として、健蔵の親友である宮崎郁雨の名前が読み込まれた短歌が選ばれた。

函館市

THE POEM MONUMENT TO YOSANO HlROSHI AND YOSANO AKlKO

In 1956 the 13th anniversary of Okada Kenzo’s death was held.Okada Kenzo is known as the founder of Hakodate Municipal Library and he served as its first curator.
On this occation,Toshorikai,an association of book-lovers was organized and was named after Okada’s pen name.In 1957 this association erected a monument in honor of Okada Kenzo on which has been inscribed the poems composed by Yosano Hiroshi (a famous Japanese poet known by his pen name Yosano Tekkan) and Yosano Akiko who had come to Hakodate in 1931,with the support of the Bonimoriya company.
Okada Kenzo has been described in the poem of Yosano Akiko as Okada Sensei (great teacher).
And in the poem by Yosano Hiroshi,Okada Kenzo’s best friend,Miyazaki Ikuu,appears.

CITY OF HAKODATE

■解説

立待岬の丘にたたずむ安山岩の岩塊に、和歌2首とその由来が彫り込まれた仙台石の2つの石版が嵌め込まれている。昭和32年(1957年)年8月15日、図書裡会が棒二森屋百貨店の協賛を得て建立、除幕式が行われた。図書裡会は、市立函館図書館を北方研究資料の宝庫に育てあげた元函館図書館長岡田健蔵の十三回忌に、彼の雅号にちなんで結成された団体で、岡田健蔵を顕彰する意味もこめて、この碑が建てられた。
2首の歌は、与謝野寛・晶子が昭和6(1931)年に函館を訪れた際に詠んだものの中から、図書裡会の人々が選んだもので、歌のなかの「郁雨」(いくう)とは、啄木の義弟で物心両面にわたって啄木を援助したことで知られる宮崎大四郎、「岡田先生」 とは、岡田健蔵のことで、現在でも函館市中央図書館には「啄木文庫」が設けられている。
「浜菊」の歌は、昭和6年に雑誌冬柏二ノ七号に掲載され、続いて昭和8年には明治書院発行の与謝野寛全集に採録されたものである。もともと、この歌の地名の文字は「立待崎」となっているが、この碑を建設する時、宮崎郁雨が「立待岬」に改めたという。

■参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年)、「函館市史資料集」第27集・第46集(函館市史編纂委員会)

■やさしい日本語

1956{年(ねん)}に、@{市立函館図書館(いちりつはこだてとしょかん)}[{建物(たてもの)}の{名前(なまえ)}。{函館(はこだて)}にある{図書館(としょかん)}]を{建(た)}てて、@{館長(かんちょう)}[{図書館(としょかん)}で{一番偉(いちばんえら)}い{人(ひと)}]をしていた@{岡田健蔵(おかだけんぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{十三回忌(じゅうさんかいき)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のことを{考(かんが)}える、{亡(な)}くなってから12{年経(ねんた)}った{日(ひ)}]をしました。そのときに、@{岡田健蔵(おかだけんぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{雅号(がごう)}[{本当(ほんとう)}の{名前(なまえ)}の{他(ほか)}につける{名前(なまえ)}]から{名前(なまえ)}を{考(かんが)}えた@{図書裡会(としょりかい)}[{函館(はこだて)}の{文化(ぶんか)}を{伝(つた)}える{集(あつ)}まり]ができました。1957{年(ねん)}に、@{棒二森屋百貨店(ぼうにもりやひゃっかてん)}[{函館(はこだて)}にあった{店(みせ)}]は@{図書裡会(としょりかい)}[{函館(はこだて)}の{文化(ぶんか)}を{伝(つた)}える{集(あつ)}まり]を{助(たす)}けました。@{図書裡会(としょりかい)}[{函館(はこだて)}の{文化(ぶんか)}を{伝(つた)}える{集(あつ)}まり]は@{岡田健蔵(おかだけんぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]を{多(おお)}くの{人(ひと)}に{知(し)}ってもらうためにも、1931{年(ねん)}に@{函館(はこだて)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]に{来(き)}た@{与謝野寛(よさのひろし)} [{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]と@{与謝野晶子(よさのあきこ)} [{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{歌碑(かひ)}[{短歌(たんか)} ({日本(にほん)}に{昔(むかし)}からある{歌(うた)}の{種類(しゅるい)})が{書(か)}いてある{石(いし)}]を{建(た)}てました。
@{与謝野晶子(よさのあきこ)} [{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{短歌(たんか)} [{日本(にほん)}に{昔(むかし)}からある{歌(うた)}の{種類(しゅるい)}]の{中(なか)}に{岡田先生(おかだせんせい)}と{書(か)}いてあるのが、@{岡田健蔵(おかだけんぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]のことです。
また、@{与謝野寛(よさのひろし)} [{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{短歌(たんか)} [{日本(にほん)}に{昔(むかし)}からある{歌(うた)}の{種類(しゅるい)}]には、@{岡田健蔵(おかだけんぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の@{親友(しんゆう)}[{仲(なか)}の{良(よ)}い{友達(ともだち)}]である@{宮崎郁雨(みやざきいくう)} [{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の{名前(なまえ)}が{入(はい)}っています。
{函館市(はこだてし)}

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地函館市住吉町16
制作時代 昭和
主題時代 昭和
カテゴリ やさしい日本語(観光), 碑・像