旧イギリス領事館(開港記念館)

キュウイギリスリョウジカン(カイコウキネンカン)

■観光説明板

函館に各国の領事が置かれたのは、安政6年(1859年)に貿易港として開港する前後からで、イギリスにおいては、初代領事ホジソンがこの年の9月に着任し、称名寺を宿舎として執務を行ったことに始まる。
文久3年(1863年)、大工町(現元町)に領事館が建てられたが、慶応元年(1865年)に火事で焼失し、以後2回建て直すが、いずれも大火で焼失した。
この建物は、大正元年(1912年)頃に新築されたもので、昭和9年(1934年)の閉館まで領事館として使われた。
設計は上海から呼んだイギリス人のキーツによるといわれ、全般にシンブルな意匠で明治の洋風建築としては非常に洗練された建物である。
昭和54年、函館市有形文化財に指定された。

函館市

OLD BRITISH CONSULATE (OPENlNG-PORT MEMORIAL HALL)

The British Consulate was established in Hakodate in 1859 when the port of Hakodate was opened as the first Japanese port open to trade.This was the 3rd consulate in Hakodate1,following the American and the Russian Consulate.The first consul,Mr.Hodgson,established it in the shomyoji temple.In 1863,a new building was constructed to serve as the consulate at the present site in Motomachi on the west side of the Russian Orthodox Church. However,it caught fire several times.Construction of the present building,designed by the Shanghai construction bureau,Department of Engineering of the British Gorvernment,was completed in 1913.
It was used as a consulate until the consulate was closed in 1934.In August 1992,the building was renovated to include a Main Hall,an exhibition room with information about the history of the port opening,and are restaurant and a tea room in which people can enjoy meals and a var iety of teas in the atmosphere of old foreign consulates,and the entire building was opened to the public.

The City of Hakodate

■やさしい日本語

{函館(はこだて)}には、{色々(いろいろ)}な{国(くに)}の@{領事館(りょうじかん)} [{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{場所(ばしょ)}]がありました。@{領事館(りょうじかん)} [{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{場所(ばしょ)}]は1859{年(ねん)}に@{貿易港(ぼうえきこう)}[{他(ほか)}の{国(くに)}に{物(もの)}などを{売(う)}ったり、{買(か)}ったりする{場所(ばしょ)}]として@{開港(かいこう)}する[{外国(がいこく)}と{貿易(ぼうえき)}できるように{港(みなと)}を{開(ひら)}くこと]{前後(ぜんご)}に{出来(でき)}ました。@ホジソン[Christopher Pemberton Hodgson、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]はこの{年(とし)}の9{月(がつ)}に{初(はじ)}めてのイギリス@{領事(りょうじ)} [{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{人(ひと)}]になりました。そして、{人々(ひとびと)}は@{称名寺(しょうみょうじ)}[{寺(てら)}の{名前(なまえ)}]を@{宿舎(しゅくしゃ)}[{人々(ひとびと)}が{一時的(いちじてき)}に{泊(と)}まる{場所(ばしょ)}]として{使(つか)}い{始(はじ)}めました。1863{年(ねん)}には、@{大工町(だいくまち)}{[今(いま)}の{元町(もとまち)}]に@{領事館(りょうじかん)}[ {自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{場所(ばしょ)}]が{出来(でき)}ました。しかし、1865年に火事で{焼(や)}けてなくなりました。その{後(あと)}2{回(かい)}{建(た)}ちましたが、どちらも{火事(かじ)}で{焼(や)}けてなくなりました。{新(あたら)}しい{建物(たてもの)}は、1912{年(ねん)}ごろに{完成(かんせい)}し、1934{年(ねん)}まで@{領事館(りょうじかん)} [{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{場所(ばしょ)}]として使いました。この{建物(たてもの)}は、@{上海(しゃんはい)}[{中国(ちゅうごく)}の{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]から{来(き)}たイギリス{人(じん)}の@キーツ[John Keats、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が作りました。@{洋風(ようふう)}[アメリカやヨーロッパの]の{建物(たてもの)}で、とても{上品(じょうひん)}です。1979{年(ねん)}には、{函館市(はこだてし)}の@{有形文化財(ゆうけいぶんかざい)}[{形(かたち)}のある{文化(ぶんか)}を{伝(つた)}えるために{大切(たいせつ)}なもの]になりました。