カトリック元町教会
カトリックモトマチキョウカイ
■観光説明板
元町教会は、安政6年(1859年)フランスの宣教師メルメ・ドゥ・カション(パリー外国宣教会司祭)が仮聖堂を建てたのに始まるもので、徳川幕府によるキリシタン追放令以降の日本におけるキリスト教宣教再開の先駆として横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史をもつ教会である。
明治元年(1868年)同宣教会司祭ムニクー、アンブルステル両氏が現地に仮聖堂を建て、その後、明治10年(1877年)同宣教会司祭マラン氏により最初の聖堂が建立された。
以降、3回の大火で類焼したのち、大正13年(1924年)現在の大聖堂が完成した。この大聖堂は、ゴシックスタイルの耐火建築であるが、中央祭壇、左右両壁一四景の十字架道行の聖像は、イタリーのチロル地方の木彫で、時のローマ教皇ベネディクト十五世から贈られた由緒あるものである。
函館市
ROMAN CATHOLIC CHURCH
In 1859 the first temporary Catholic Chapel was founded by French Missionary Mermet De Cachon.Priest of Paris foreign missions society.It was the begining of such work in Japan after the deportation order of Christians by the Tokugawa Government.This church is as historical as The Yamate Church and The Oura Church in Ngasaki.
In 1868 Priest Mounicou and Priest Ambruster built at emporary church at the present site,and in 1877 the first wooden church was built by Priest Marin.However,was destroyed by fires three times.The Present church was built in 1924.
This church,in a gothic architectural style,is fire proof.But the Alter and the fourteen sculpture Stations of the Cross showing scenes on each,along the walls on both sides,are tilolean wood carvings.They are of historical value because they were presented by Pope Benedict XV.
The City of Hakodate
フランスの@{宣教師(せんきょうし)}[キリスト{教(きょう)}などを{外国(がいこく)}に{伝(つた)}える{仕事(しごと)}]@メルメ・ドゥ・カション[Eugène-Emmanuel Mermet-Cachon、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は、1859{年(ねん)}に、{元町教会(もとまちきょうかい)}を{建(た)}てました。この{教会(きょうかい)}は、{日本(にほん)}でキリスト{教(きょう)}を{最初(さいしょ)}に{伝(つた)}え{始(はじ)}めました。@{徳川幕府(とくがわばくふ)}[1859{年(ねん)}の{日本(にほん)}の{政府(せいふ)}]が@キリシタン[キリスト{教(きょう)}を{信(しん)}じている{人(ひと)}たち]を{他(ほか)}の{場所(ばしょ)}に{移(うつ)}した{後(あと)}に、@{横浜(よこはま)}の{山手(やまて)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]や@{長崎(ながさき)}の{大浦(おおうら)} [{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]と{同(おな)}じように、{一番(いちばん)}{古(ふる)}い{歴史(れきし)}のある{教会(きょうかい)}の{一(ひと)}つになりました。1868{年(ねん)}には、{同(おな)}じ@{宣教団体(せんきょうだんたい)}[キリスト{教(きょう)}を{伝(つた)}えるグループ]の@{司祭(しさい)}[{神様(かみさま)}の{声(こえ)}を{伝(つた)}える{人(ひと)}のこと]の@ムニクー[Pierre Mounico、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]と@アンブルステル[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が{今(いま)}の{場所(ばしょ)}に{簡単(かんたん)}な@{聖堂(せいどう)} [{神様(かみさま)}に{祈(いの)}る{場所(ばしょ)}]を{建(た)}てました。1877{年(ねん)}には、@マラン{司祭(しさい)}[{ Jean-Marie Marin、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が{最初(さいしょ)}の@{聖堂(せいどう)} [{神様(かみさま)}に{祈(いの)}る{場所(ばしょ)}]を{建(た)}てました。その{後(あと)}、3{回(かい)}の{火事(かじ)}があって{教会(きょうかい)}が{焼(や)}けました。1924{年(ねん)}に{今(いま)}の{大(おお)}きな@{聖堂(せいどう)} [{神様(かみさま)}に{祈(いの)}る{場所(ばしょ)}]が{完成(かんせい)}しました。この{大(おお)}きな@{聖堂(せいどう)} [{神様(かみさま)}に{祈(いの)}る{場所(ばしょ)}]は@ゴシックスタイル[{(昔)むかし}のヨーロッパの{建物(たてもの)}の{作(つく)}り{方(かた)}]で、{火(ひ)}に{強(つよ)}い{建物(たてもの)}です。{真(ま)}ん{中(なか)}の@{祭壇(さいだん)}[{神様(かみさま)}などを{大切(たいせつ)}にする{場所(ばしょ)}]や{右(みぎ)}と{左(ひだり)}の{壁(かべ)}にはイタリアの@チロル{地方(ちほう)} [{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]の{木(き)}の{像(ぞう)}があります。この{木(き)}の{像(ぞう)}は@ローマ{教皇(きょうこう)}[キリスト{教(きょう)}で{一番(いちばん)}{偉(えら)}い{人(ひと)}]@ベネディクト{十五世(じゅうごせい)} [Benedictus XV、{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が@{元町(もとまち)} [{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]にあげたものです。