函館中華山荘

ハコダテチュウカサンソウ

■観光説明板

函館には、幕末から中国人が住み始めており、大半は海産物の貿易に携わっていた。この墓地は、明治9(1876)年に、青森県下に漂着した中国人の遺体を埋葬するために、開拓使から土地を借りたことに始まる。当初の面積は、184坪(607㎡)しかなかったが、大正8(1919)年に隣接の土地を買収し、466坪(1,538㎡)となった。この時に、周りをレンガ塀で囲み、現在のような体裁となった。
墓地内には、総檜造り瓦屋根の祠堂や「中華義塚」と彫られた石碑、炉跡のほかに、知られているだけでも9基の石碑と4基の木碑がある。
この墓地は代々の華僑団体が管理を行っており、毎年、清明節(春分後15日日)と中元節(旧盆)には、祭祀が営まれ、紙銭を焚いて墓祭を行い、先人の冥福が祈られている。

函館市

The Chinese Graveyard

In 1876,six Chinese began the burial of local Chinese here.It was repaired in 1919 and the brick wall was also built then. (It was only 40 percent of the area it is now)
In the graveyard there is a shrine made of Japanese Cypress with a tile roof but it is not an actual temple.
The Chinese Gicho stone image,behind the shrine,is the principal statue.Every year in April and August,Chinese merchants in Hakodate burn paper money and pray here.

CITY OF HAKODATE

■やさしい日本語

@{函館(はこだて)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]には、@{幕末(ばくまつ)}[1853{年(ねん)}から1868{年(ねん)}]から{中国人(ちゅうごくじん)}が{住(す)}んでいました。ほとんどの{中国人(ちゅうごくじん)}は{海(うみ)}でとれるものの@{貿易(ぼうえき)} [{他(ほか)}の{国(くに)}に{物(もの)}などを{売(う)}ったり、{買(か)}ったりすること]を{仕事(しごと)}にしていました。1876{年(ねん)}に、{海(うみ)}から@{青森県(あおもりけん)} [{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]に{流(なが)}れてきた、{亡(な)}くなった{中国人(ちゅうごくじん)}の{体(からだ)}を@{埋葬(まいそう)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}を{土(つち)}の{中(なか)}に{埋(う)}めること]しました。この@{墓地(ぼち)} [{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}がたくさんあるところ]は、そのときに@{開拓使(かいたくし)}[{北海道(ほっかいどう)}を{住(す)}めるようにするための{役所(やくしょ)}。また、そこで{働(はたら)}く{人(ひと)}たち。]から{借(か)}りた{場所(ばしょ)}です。{最初(さいしょ)}、{場所(ばしょ)}の{大(おお)}きさは607㎡しかありませんでした。1919{年(ねん)}に{横(よこ)}の{場所(ばしょ)}を{買(か)}って、1,538㎡になりました。この{時(とき)}に、{周(まわ)}りを@レンガ{塀(べい)}[{壁(かべ)}]で{囲(かこ)}んで、{今(いま)}の{形(かたち)}になりました。
@{墓地(ぼち)} [{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}がたくさんあるところ]には、{全(すべ)}て@{檜(ひのき)}[{木(き)}の{名前(なまえ)}]でできた@{瓦屋根(かわらやね)}[{昔(むかし)}からある{屋根(やね)}の{種類(しゅるい)}]の@{祠堂(しどう)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のために{祈(いの)}る{場所(ばしょ)}]や「{中華義塚(ちゅうかぎちょう)}」と{書(か)}いてある@{石碑(せきひ)}[{文字(もじ)}が{書(か)}いてある{石(いし)}]、@{炉跡(ろあと)}[{昔(むかし)}の{火(ひ)}を{使(つか)}っていた{場所(ばしょ)}]があります。そのほかにも、{分(わ)}かっているだけでも9{個(こ)}の@{石碑(せきひ)}[{文字(もじ)}が{書(か)}いてある{石(いし)}]と4{個(こ)}の@{木碑(もくひ)}[{木(き)}でできた{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}]があります。
この@{墓地(ぼち)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}がたくさんあるところ]は{昔(むかし)}から@{華僑団体(かきょうだんたい)}[{外国(がいこく)}に{住(す)}んでいる{中国人(ちゅうごくじん)}の{集(あつ)}まり]が{大切(たいせつ)}にしています。{毎年(まいとし)}、@{清明節(せいめいせつ)}[4{月(がつ)}{5日 (いつか)}ごろ。{中国(ちゅうごく)}の{祝日(しゅくじつ)}]と@{中元節(ちゅうげんせつ)}[{昔(むかし)}の7{月(がつ)}15{日(にち)} 。{中国(ちゅうごく)}の{祝日(しゅくじつ)}]には、{祭(まつ)}りをします。{祭(まつ)}りでは{紙(かみ)}でできたお{金(かね)}を{燃(も)}やし、{昔(むかし)}の{人(ひと)}の{幸(しあわ)}せを{祈(いの)}っています。
{函館市(はこだてし)}

■碑文