外国人墓地(ロシア人墓地)
ガイコクジンボチ(ロシアジンボチ)
■観光説明板
ここが、ロシア人墓地として公式に認められたのは、明治3年(1870年)のことで、当時の開拓使函館支庁と在函5ヶ国領事との間で外国人墓地に関する協定が締結されました。
最も古い墓は、1859年6月29日(露歴)のアスコリド号の航海士ゲオルギィ・ポウリケヴィチのものです。
現在この墓地には、ロシア軍艦の乗組員25名や白系ロシア人7名など全部で43基の墓があります。その中には、初代領事ゴシケーヴィチ夫人や領事館付属聖堂の説教者で、のちに魯学校の教師として活躍したヴィサリオン・サルトフも葬られています。
故国はるかなる異郷に倒れたロシア人も、この墓地で安らかに眠り続けるでしょう。
函館市
RUSSIAN CEMETERY
In 1870,this cemetery was officially recognized as a Russian cemetery.
At present,there are 43 graves including those of 25 Russian warship crew members.
Mrs.Goshkevich,wife of the first Russian consul in Hakodate,and Vissarion Sartov,a chanter at the church attached to the consulate and later a teacher at the National School in Hakodate,are also buried here.
Many Russians who have passed away in Hakodate now find their final resting place in this cemetery.
City of Hakodate
1870{年(ねん)}に、ここがロシア{人(じん)}の@{墓(はか)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}]がある{場所(ばしょ)}になりました。その{時(とき)}の@{開拓使函館支庁(かいたくしはこだてしちょう)}[{函館(はこだて)}を{住(す)}めるようにした{人(ひと)}たちがいる{場所(ばしょ)}]と{函館(はこだて)}にいた5つの{国(くに)}の@{領事(りょうじ)}[{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{仕事(しごと)}をする{人(ひと)}]が{外国人(がいこくじん)}の{墓(はか)}についての{約束(やくそく)}を{作(つく)}りました。{一番古(いちばんふる)}い@{墓(はか)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}]がある{場所(ばしょ)}は、1859{年(ねん)}6{月(がつ)}29{日(にち)}(ロシアの{昔(むかし)}の{日(ひ)}にち)の@アスコリド{号(ごう)}[{船(ふね)}の{名前(なまえ)}]の@{航海士(こうかいし)}[{船(ふね)}や、{船(ふね)}に{乗(の)}っている{人(ひと)}の{安全(あんぜん)}を{守(まも)}る{仕事(しごと)}をする{人(ひと)}]@ゲオルギィ・ポウリケヴィチ[{人(ひと)}の{名前(なまえ)} George Bourikevich]のものです。{今(いま)}ここには、ロシアの{船(ふね)}に{乗(の)}っていた25{人(にん)}や@{白系(はっけい)}ロシア{人(じん)}[ロシア{革命(かくめい)}に{反対(はんたい)}してロシアから{逃(に)}げた{人(ひと)}]7{人(にん)}など、{全部(ぜんぶ)}で43の@{墓(はか)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}]がある{場所(ばしょ)} があります。その{中(なか)}には、{最初(さいしょ)}の@{領事(りょうじ)}[{自分(じぶん)}の{国(くに)}と{外国(がいこく)}をつなぐ{仕事(しごと)}をする{人(ひと)}]@ゴシケーヴィチ{夫人(ふじん)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)} Mrs.Goshkevich]が{眠(ねむ)}っています。また、@{領事館付属聖堂(りょうじかんふぞくせいどう)}[{領事(りょうじ)}が{仕事(しごと)}をする{場所(ばしょ)}の{隣(となり)}にある、キリスト{教(きょう)}の{人(ひと)}が{祈(いの)}る{時(とき)}に{使(つか)}う場所]の@{説教者(せっきょうしゃ)}[キリスト{教(きょう)}を{教(おし)}える{人(ひと)}]で、その{後(あと)}に@{魯学校(ろがっこう)}[ロシア{語(ご)}を{教(おし)}える{学校(がっこう)}]の{先生(せんせい)}になった@ヴィサリオン・サルトフ[{人(ひと)}の{名前(なまえ)} Vissarion Sartov]も{眠(ねむ)}っています。{自分(じぶん)}が{住(す)}んでいた{国(くに)}から{遠(とお)}く{離(はな)}れた{日本(にほん)}で{亡(な)}くなったロシア{人(じん)}も、ここでゆっくりと{眠(ねむ)}り{続(つづ)}けるでしょう。