旧ロシア領事館

キュウロシアリョウジカン

■観光説明板

安政元年(1854年)12月の日露和親条約に基づき、安政5年(1858年)9月初代領事ゴシケーヴィチが着任、実行寺(じつぎょうじ)に領事館を置いた。万延元年(1860年)、元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが、隣の英国領事館の火災で被災した。明治36年(1903年)、現在地で領事館の建設が始められたが、翌年の日露戦争で中断し、完成したのは明治39年であった。この建物は明治40年の大火で焼失するが、その直後から同じ場所で再建工事が始まり、同41年暮れに完成した(現在の建物)。
ロシア革命後、大正14年(1925年)からはソ連領事館となったが、最後の領事ザベーリエフが本国に引揚げた翌年の昭和19年(1944年)10月1日、領事館は閉鎖された。
昭和39年(1964年)に外務省から函館市が建物を購入、翌年5月から「函館市立道南青年の家」として近隣町村を含めた青少年宿泊研修施設として使用されたが、平成8年(1996年)7月「函館市青少年研修センター」の開館により、その機能は終了した。
設計はドイツ人建築家のR.ゼールで、レンガ造り2階建ての本館は、玄関に唐破風(からはふ)を用い、日本的な意匠が加味されている。

 函館市

The Old Russian Consulate

Hakodate’s frst Russian Consul Goshkevich took up his post in September 1858 as a result of the Japan and Russia Peace and Amity Treaty which was concluded in December 1854.The original Russian Consulate was established on the site of the current Russian Orthodox Church in Motomachi in 1860 however it was destroyed by a fire which started in the adjacent Engnsh Consulate.
Work on a new Consulate commenced in 1903 at the present location but it wasn’t completed until 1906,due to the Russo-Japanese War.However it was soon destroyed by the big fire of August 1907.Construction of the existing building was completed at the end of the following year.
After the Russian Revolution,it was used as the Soviet Consulate from 1925 untnl 1944,when Consul Zaveliev repatriated on September 30.
In 1964 Hakodate City bought the building from the Ministry of Foreign Affairs.It served as a youth lodging and training centre, (the Southern Hokkaido Youth House) until July l996 and is currently not in use.
This building was designed by German architect Richard Seel.The two-storied main building is made of brick and the cusped gables used at the entrance give it a Japanese style.

City of Hakodate

■やさしい日本語

1854 年(ねん) 12 月(がつ) の 日露和親条約(にちろわしんじょうやく)[ 日本(にほん) とロシアの 取(と) り 決(き) め] をもとに、1858年9月にゴシケーヴィチが 最初(さいしょ) の 大領事(だいりょうじ)[ 自分(じぶん) の 国(くに) と 外国(がいこく) をつなぐ 仕事(しごと) をしている 人(ひと) ]になって、 実行寺(じつぎょうじ) というお 寺(てら) に 領事館(りょうじかん)[領事が仕事をするところ]を 置(お) きました。1860年、 元町(もとまち) にある 今(いま) のハリストス 正教会(せいきょうかい) がある場所に領事館を 建(た) てました。しかし、 隣(となり) に建っていたイギリスの領事館の 火事(かじ) で 焼(や) けてしまいました。1903年に、この場所で領事館を建て 始(はじ) めましたが、 次(つぎ) の 年(とし) に 日露戦争(にちろせんそう)[日本とロシアの 戦争(せんそう) ] があったので、 途中(とちゅう) で領事館を建てるのを 止(や) めました。そして1906年に領事館が 完成(かんせい) しました。この 建物(たてもの) は1907年に起きた火事で焼けてしまいました。その 後(あと) すぐに 同(おな) じ場所で建て 直(なお) して、1908年の 終(お) わりに完成しました。(これが今の 旧(きゅう) ロシア領事館です。)
ロシア 革命(かくめい) の後、1925年からソ 連(れん) 領事館になりましたが、 最後(さいご) の領事であるザべーリエフが 函館(はこだて) を 出(で) て行った次の年の1944年10月1日に、領事館は 使(つか) われなくなりました。
1964年に函館 市(し) が 外務省(がいむしょう)[外国と 関(かか) わる 政治機関(せいじきかん) ] からこの建物を 買(か) いました。そして次の年の5月から「 函館市立道南青年(はこだてしりつどうなんせいねん) の 家(いえ) 」として、 近(ちか) くに住んでいる人も 泊まれる 研修施設(けんしゅうしせつ)[いろんないろんな 勉強(べんきょう) をするときに 使(つか) う場所]として使われました。しかし、1996年7月に「函館市少年研修センター」ができたので、「函館市立道南青年の家」としては使われなくなりました。
この建物はドイツ人 建築家(けんちくか)[建物の 工事(こうじ) をするときに建物の 形(かたち) を考える人]のR.ゼールが考えました。
レンガで 造(つく) られた2 階(かい) 建てのこの建物は、 入(い) り 口(ぐち) に 唐破風(からはふ)[日本のお 城(しろ) などでよく使われる 屋根(やね) の 飾(かざ) り]を使い、日本らしい 工夫(くふう) がされています。