榎本武揚

エノモトタケアキ

榎本武揚   

えのもとたけあき   

天保7~明治41(1836~1908年)。   

江戸(東京都)生。オランダ留学後、幕府海軍副総裁。明治元年(1868年)   

旧幕府軍脱走軍を率いて品川沖を出発し、五稜郭を占領した。 

■やさしい日本語

@{榎本武揚(えのもとたけあき)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}] 1836{年(ねん)}~1908{年(ねん)}  @{榎本武揚(えのもとたけあき)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は@{江戸(えど)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}。{今(いま)}の{東京(とうきょう)}]で{生(う)}まれました。{榎本武揚(えのもとたけあき)}はオランダに{留学(りゅうがく)}しました。その{後(あと)}、{日本(にほん)}で@{幕府海軍副総裁(ばくふかいぐんふくそうさい)}[{仕事(しごと)}の{名前(なまえ)}。 {軍(ぐん)}の{中(なか)}で{二番目(にばんめ)}に{偉(えら)}い{人(ひと)}]になりました。1868{年(ねん)}に@{旧幕府軍脱走軍(きゅうばくふぐんだっそうぐん)}[1868{年(ねん)}の{日本(にほん)}の{政府(せいふ)}の{人(ひと)}で、{函館(はこだて)}に{逃(に)}げた{人(ひと)}たち]を{連(つ)}れて@{品川沖(しながわおき)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]を{出(で)}て、{函館(はこだて)}に{来(き)}ました。@{五稜郭(ごりょうかく)}[{函館(はこだて)}にある、{戦争(せんそう)}のために{作(つく)}った{建物(たてもの)}]を{自分(じぶん)}たちのものにしました。 

■解説

榎本武揚   

えのもとたけあき   

天保7~明治41(1836~1908年)。   

江戸(東京都)生。オランダ留学後、幕府海軍副総裁。明治元年(1868年)   

旧幕府軍脱走軍を率いて品川沖を出発し、五稜郭を占領した。