伊能忠敬北海道最初の測量地

イノウタダタカホッカイドウサイショノソクリョウチ

伊能忠敬北海道最初の測量地

■やさしい日本語

@{伊能忠敬(いのうただたか)}[ 人(ひと)の 名前(なまえ)。{日本中(にほんじゅう)}を{歩(ある)}き{回(まわ)}って、{初(はじ)}めて{日本(にほん)}の{地図(ちず)}を{最後(さいご)}まで{作(つく)}った人]は、@{箱館(はこだて)}[{今(いま)}の{函館(はこだて)}]を{出発(しゅっぱつ)}して、{北海道(ほっかいどう)}の{東(ひがし)}の{海岸(かいがん)}から@{根室(ねむろ)}[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。{北海道(ほっかいどう)}の{西側(にしがわ)}にある{町(まち)}]まで、@{蝦夷地(えぞち)}[{今(いま)}の{北海道(ほっかいどう)}]の@{測量(そくりょう)}[ものの{長(なが)}さや{重(おも)}さを{測(はか)}ること]をしました。この{測量(そくりょう)}が{函館山(はこだてやま)}で{始(はじ)}まったことを@{記念(きねん)}[{起(お)}こったことを{祝(いわ)}うこと]して、1957{年(ねん)}の4{月(がつ)}、{函館市(はこだてし)}が{函館山(はこだてやま)}の{一番上(いちばんうえ)}にある@{展望台(てんぼうだい)}[{景色(けしき)}を{見(み)}るための{高(たか)}いとこにある{建物(たてもの)}]の{壁(かべ)}に、@{石板(せきばん)}[{情報(じょうほう)}が{書(か)}いてある{石(いし)}の{板(いた)}]と{彼(かれ)}の{顔(かお)}を{描(か)}いた@{銅(どう)}[{黒色(くろいろ)}をした{固(かた)}い{物(もの)}]を@はめ{込(こ)}み[ぴったり{合(あ)}うように{入(い)}れること]ました。
しかし、{新(あたら)}しい@{記録(きろく)}[{起(お)}こった{事(こと)}を{書(か)}いて{残(のこ)}したもの]が{見(み)}つかり、{北海道(ほっかいどう)}で{測量(そくりょう)}が{始(はじ)}まったのは@{福島町(ふくしまちょう)}[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。{北海道(ほっかいどう)}の{南側(みなみがわ)}にある{町(まち)}]の@{吉岡(よしおか)}[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)]と{分(わ)}かりました。この{町(まち)}では、@{伊能忠敬(いのうただたか)}[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]が{亡(な)}くなってから200{年(ねん)}になるのを@{記念(きねん)}[{起(お)}こった{事(こと)}を{祝(いわ)}うこと]して、「{伊能忠敬北海道測量開始記念公園(いのうただたかほっかいどうきねんこうえん)}」ができました。その{公園(こうえん)}の{中(なか)}には、@{彫刻家(ちょうこくか)}[ 石(いし)や 木(き)で 動物(どうぶつ)などを 作(つく)る 人(ひと)]の@{酒井道久(さかいみちひさ)}[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]が{作(つく)}った@{伊能忠敬(いのうただたか)}[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]の@{像(ぞう)}[{人(ひと)}や{動物(どうぶつ)}の{形(かたち)}を{作(つく)}ったもの]があります。2018{年(ねん)}4{月(がつ)}27{日(にち)}には、{公園(こうえん)}ができたことを@{祝(いわ)}いました[よいことがあった 時(とき)にみんなで 喜(よろ)んだこと]。

■碑文

伊能忠敬北海道最初の測量地

五月二十八日 新暦七月十九日
土用 朝五つ迄曇る 夫より晴天江戸出立後の上天気なり 併し山々白雲おほし 箱館山に登て所々の方位を測 夜も晴測量……
寛政十二年 一八〇〇年
伊能忠敬測量日誌より

昭和三十二年四月 函館市

■解説

伊能忠敬は、箱館を出発点として東海岸から根室まで、蝦夷地の実測を行った。その起点が函館山であったことを記念して、1957年(昭和32年)4月、函館市が函館山山頂展望台の側壁に石板・肖像ブロンズを嵌め込んで設置し た。
なお、現在、新たな記録の発見により、北海道の測量の起点は、福島町吉岡とされている。同町は伊能忠敬の没後200年を記念して、伊能忠敬北海道測量開始記念公園を整備し、園内に伊能忠敬像(彫刻家酒井道久製作)を設置、2018年(平成30年)4月27には公園の竣工式と銅像除幕式が行われた。

■参考文献

「いしぶみ」西部編(函館市役所土木部公園緑地課 1982年) 、「函館市史資料集」第46集(函館市史編纂委員会)、「北海道建設新聞」2018年5月2日

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地函館山山頂展望台側壁
制作時代
主題時代
カテゴリ やさしい日本語(観光), 歴史, 碑・像