大関開拓記念碑

ダイカンカイタクキネンヒ

大関開拓記念碑 大関神社前
大関開拓記念碑 大関神社前

 

■碑文

表面)
永受嘉福
明治廿八年、日清両国の風雲未た収らさりし頃、大阪の人、長谷川寅次郎、井上徳兵衛、下関の人、安井作次郎、土井重吉の四氏相図りて北海道拓殖事業を起し、八雲村字ユウラップ及トワルベツに跨る地区を撰定して移民を将来し、千古斧鉞を知らさる原始林を開いて農場を創設す これ即ち大関農場なり。示来、四氏は農場内に社寺を造営して崇敬渇仰の誠を至さしめ、学校を建て病院を設けて住民の教育保健に遺憾なからしむ等、経営に努めしかは、一時は百二十戸の一大部落にまて発展せるも共後の経営に蹉跌し、農場は衰運の一路を辿るに至れり
こゝに於て大正十一年四月、徳川農場長、大島鍛氏の奔走により大関農場は八雲の開祖、尾張徳川家に移ってユウラップ農場と改称され、徳川農場の一部として経営されしか、昭和九年十二月三十日、場主徳川義親侯は、農家更生の主旨を以て農場地域中六百二十二町九段三畝七歩の地を割きて三十八戸の自作農を創設さる。これ、徳川侯爵の先見英断に よる処置の結果にして、こゝに於て各農家の更生発展の基礎確立し、生活安し、大関部落の今日ある由縁は、実にこゝに存す。
今こゝに部落各戸相謀りて碑を建て、部落の歴史と徳川侯爵の恩澤を永遠に子孫に伝へんとし、余に撰文を嘱せらる。余また比地に因縁浅か らさるものあり、比挙に協賛措く能はす、不文を省す聊か回顧の辞を連ねて碑文とす。
昭和十三年八月 辱知 內田文三郎謹書

(裏)
題額 侯爵徳川義親閣下
昭和十三年八月廿五日建之
自作農者 岩間兎喜男(他三七名)

■参考文献

2001『八雲町の石碑と像』高木崇世芝 編(非売品)

大エリア 八雲町
小エリア 八雲地区
所在地
制作時代 昭和
主題時代 明治, 大正, 昭和
カテゴリ 碑・像