桜之碑

サクラノヒ

hako087■碑文

(表)
桜之碑

北海之門為巴港港有公園今以桜花名著而港之有桜蓋濫觴于故逸見小右衛門君始栽之新川矣今按桜之所繇来木花之佐久夜毘売之名夙彰乎神代神功之時有若桜宮其為皇国之名華淵源為遠矣今観以明治之中期夙植斯名華於北門之地使人想有 皇化之己洽者深君識見也可謂不凡君始栽桜在明治二十二年是歳更得允爾来五年之閒植栽臥牛山腹者実算五万株其間以二十四年植梅桜二樹於公園二十七年又植之算及五千二百八十株既栽於臥牛三歳再栽新川堤以千五百株更植於港所在社寺之地者通算千餘株巴港之至春季展桜雲万朶之麗殊以公園為最第一者実君力植至将六万株之賜也然昊天不憫以三十年三月奪君寿可惜哉君与桜花桜花与公園三者相得久矣頃者函館市民胥謀将建桜碑於公園併以為君碑者洵非偶然也君信州北安曇郡北城人田中松栄第三子以嘉永元年三月生元治元年年甫十七自立為賈蹉跌辞郷将航函館慶応元年赴新潟病苦不得志居二年習製菓之法明治元年年二十一五月始来本市曩無余贏就人借本買物于邑行售郊村所得于村帰鬻市邑数閲月而積小貲乃用曩所習業製菓会承函館役後文化新興庶物滋蕃君業亦殷因愈製精品声価為高市有逸見氏家世以南部藩公賈居然家道不振時君既輟其業将遷小樽有人慫慂以冒逸見氏興其家甚勖君遂首肯乃留本市復業製菓居常図防洋糖入港百方苦心経十年始得専内国精糖以確立斯業於本市矣二十二年与同志起巴港社創立北海新聞植桜之業実昉于是歳二十九年取締役於函館銀行有重望以至知命竟世君既為立志伝中之人而夙似以桜花供于 皇化光被之慶標又以充于家道到隆之寿碑更使至為公園麗眺之貞珉何翅一挙両得実兼三得矣宣哉公園建碑之議決也市尹阪本森一需文于予予職入仕閣室出掌景致是以予之於名華之勝区亦似有夙縁乃諾次第所聞明植桜之所由以諗諸後代繋以銘銘曰
斗南有人 刻苦忘身 積福成阜 栽桜若鱗 始教巴港 得勝区真
花是君像 君如厥神 璨然隻璧 清白無鄰 皇化千古 桜雲万春
昭和六年四月             内閣事務嘱託従五位国府種徳譔
高田忠周書   東京 田鶴年刻

■解説

この碑は、逸見小右衛門が、明治22年~28年の間に亀田川堤防や函館山に苗桜を植栽した頌徳碑である。昭和7年5月10日桜花爛漫のなかで除幕式を挙げた。碑文と銘は上記の通りである。
逸見小右衛門は、函館の商人。1847年(嘉永元年)3月に信濃に生まれ、1868年(明治元年)5月、21歳で新潟から箱館に来て、製菓・麦粉・砂糖の売買を仕事としていた。公益事業を志し、明治22年~28年の間に吉野桜5万1,550本を函館山および亀田川堤防に植栽した。梅・桜5,250本を自ら、鋤・鍬をもって函館公園に寄付移植した。1897年(明治30年)、病いにて永眠、51歳。

■参考文献

「函館公園」(函館市役所土木部公園緑地課 1987年)、「函館市史資料集」第27集(函館市史編纂委員会)、「道南の碑」(永田青雲 幻洋社 1996年)

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市青柳町17(函館公園内)
制作時代 昭和
主題時代 明治
カテゴリ 碑・像