山遊碑

サンユウヒ

hako082

■碑文

北域海外眄視箱館之地背西南腹東北地勢斜流西北屈曲而為湾陸続如島暁之周海二里許経緯纔一里許山下陵遅之処民争地而居之比屋参差者箱館市廛之富也湾之回凡六七里許開海門於西北陵大風於函山則広湾之内浮萬船而不覆一船者箱館大湊之美也又呼吸萬船而払国産出入諸品而贍洲用者此洲之咽喉也蓋地偏而纔隔於一條海固不出米殻不備百工四方人来而住焉者箱館地理之徳也予又東総銚江之医夫也文化己巳年以庸作之医来於此己八年庚午之春至於冰海島観偏島五月之桜花渡仲春無漘之海冰酒凍地裂歴寒地来而又看箱館四月之梅花望八月胡山之白雪繋生今日逢重陽之佳節独愛野生之菊佳色使吾楽也於是曳杖登函山四顧西南萬里空一色何処是不知故郷東北続胡地千峯遠萬渓昿野山川流外内之浜疎林之処茅屋数点漁夫宅旅客行馬南飛雁漁舟繋船夜泊情胡地之草木鳥声異被髪文身言語之別交以為客愁集以為風雅乗興賦野詩聊以攄思則為之函山九日之遊也

函山崢嶸石露挙 今日登臨吟杖牽 非免厄■擬栢景 只恨有酒無陶賢
下看野庭芳菊白 仰望山巓紅葉鮮 化鯤為鵬朝暮汐 作雲作雨遠峯烟
山秀西南如孤島 海■東北似湖漣 凮送出入布帆影 潮来昼夜諸邦船
漁舟飄然鴎飛処 行馬■綿断蓬邊 時哉海隅蒼生冨 左衽短髪王道扇
在昔不毛今都会 宜哉夫■欲学伝 嗚呼思昔遊欲息 廷尉落泊数百年
三軍主将無寸地 古墟有名■■■ 人閒行事如暁夢 来歳此興不可然
豈不楽逢佳節日 浮世一時生可■
文化十三年秋九月箱館官府医      前田恭安 温卿

■解説

「山遊碑」の題の下に、文化13年9月9日重陽の節句にあたって箱館山に遊んだ文と詩とが彫られている。もとは会所町(現在の元町)にあった八幡宮境内にあったが、その後函館公園の北海池側に移され、さらに1928年(昭和3年)現在地に移された。碑面左やや上に傷があり、判読ができない部分がある。前田恭安(号、温卿)は、下総銚子の医師で前幕領時代の1808年(文化5年)に幕府の医者として箱館へ来た。恭安の経歴の詳細は明らかではないが、彼が択捉島へ出かけた時、ラショワ土人から聞いて書かれたロシア語学の本、「氈裘文筌」(センキュウモンセン)を著している。

■参考文献

「函館公園」(函館市役所土木部公園緑地課 1987年)、「函館市史資料集」第27集・第46集(函館市史編纂委員会)、「道南の碑」(永田青雲 幻洋社 1996年)

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地北海道函館市青柳町17(函館公園内)
制作時代 近世
主題時代 近世
カテゴリ 碑・像