土方歳三最後の地

ヒジカタトシゾウサイゴノヒ

hako044■碑文

(表)
土方歳三最期之地
函館市長 吉谷一次書

(裏)
昭和三十三年十二月十四日
若松小学校同窓会 父母先生の会有志 建立

■説明板

新撰組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後新撰組を率いて各地を転戦して北上し仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が指揮する脱走艦隊と合流した。
明治元年(一八六八年)十月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。
翌二年四月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・北斗市)だけは最後まで落ちなかった。
しかし、同年五月十一日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、五十名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向い、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に三十五歳であった。

函館市

■追加解説

碑石は自然石。1992年(平成4年)11月19日、若松町グリーンベルトから若松緑地へ移設された。

■参考文献

「いしぶみ」(函館市役所土木部公園緑地課 1983年)、「函館市史資料集」第37集(函館市史編纂委員会)、平成4年11月19日付け「北海道新聞」

■やさしい日本語

@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は@{新選組(しんせんぐみ)}[1863{年(ねん)}ころの{京都(きょうと)}の{警察(けいさつ)}]の@{副長(ふくちょう)}[{二番目(にばんめ)}に{偉(えら)}い{人(ひと)}]でした。@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は{勇気(ゆうき)}がある{人(ひと)}として@{京都(きょうと)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]で{有名(ゆうめい)}でした。@{鳥羽伏見(とばふしみ)}の{戦(たたか)}い[1868{年(ねん)}に{起(お)}こった{戦(たたか)}い]の{後(あと)}、@{新選組(しんせんぐみ)}[1863{年(ねん)}ころの{京都(きょうと)}の{警察(けいさつ)}]を{連(つ)}れて{色々(いろいろ)}な{場所(ばしょ)}で{戦(たたか)}いました。@{仙台(せんだい)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]に{行(い)}って、@{旧幕府海軍副総裁(きゅうばくふかいぐんふくそうさい)}[{仕事(しごと)}の{名前(なまえ)} {軍(ぐん)}の{中(なか)}で{二番目(にばんめ)}に{偉(えら)}い{人(ひと)}]@{榎本武揚(えのもとたけあき)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が{連(つ)}れてきた@{脱走艦隊(だっそうかんたい)}[1868{年(ねん)}の{日本(にほん)}の{政府(せいふ)}の{人(ひと)}で、{函館(はこだて)}に{逃(に)}げた{人(ひと)}たちの{軍(ぐん)}]と{一緒(いっしょ)}に{動(うご)}き{始(はじ)}めました。1868{年(ねん)}10{月(がつ)}、@{蝦夷地(えぞち)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} {今(いま)}の{北海道(ほっかいどう)}]に{行(い)}った@{榎本軍(えのもとぐん)}[{新政府(しんせいふ)}と{戦(たたか)}っていた{人達(ひとたち)}]は@{箱館(はこだて)[{函館(はこだて)}の{古(ふる)}い{書(か)}き{方(かた)}] を{自分(じぶん)}たちのものにしました。{新(あたら)}しい@{政権(せいけん)}[{国(くに)}を{治(おさ)}める{場所(ばしょ)}]をつくりました。@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]はそこで@{陸軍奉行並(りくぐんぶぎょうなみ)}[{仕事(しごと)}の{名前(なまえ)}{陸軍(りくぐん)}の{指示(しじ)}を{行(おこな)}う{人(ひと)}]という{大切(たいせつ)}な{仕事(しごと)}に{就(つ)}きました。1869{年(ねん)}4{月(がつ)}、@{榎本軍(えのもとぐん)}[{新政府(しんせいふ)}と{戦(たたか)}っていた{人達(ひとたち)}]は@{新政府軍(しんせいふぐん)}[{日本(にほん)}の{新(あたら)}しい{政治(せいじ)}をする{人(ひと)}たち]に{色々(いろいろ)}な{場所(ばしょ)}で{負(ま)}けました。しかし、@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]が{守(まも)}った@{二股口(ふたまたぐち)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} {今(いま)}の{北斗市(ほくとし)}]でだけは{最後(さいご)}まで{勝(か)}ちました。しかし、1869{年(ねん)}5{月(がつ)}11{日(にち)}、ついに@{新政府軍(しんせいふぐん)}[{日本(にほん)}の{新(あたら)}しい{政治(せいじ)}をする{人(ひと)}たち]が@{箱館(はこだて)}[{函館(はこだて)}の{古(ふる)}い{書(か)}き{方(かた)}] を{自分(じぶん)}たちのものにしました。@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は、もう一度@{箱館(はこだて)}[{函館(はこだて)}の{古(ふる)}い{書(か)}き{方(かた)}] を{自分(じぶん)}たちのものにしようとしました。50{人(にん)}の{兵(へい)}を{連(つ)}れて@{一本木(いっぽんぎ)}{関門(かんもん)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} {今(いま)}の{若松町(わかまつちょう)}]を{出(で)}て、@{箱館(はこだて)}[{函館(はこだて)}の{古(ふる)}い{書(か)}き{方(かた)}] の{中(なか)}に{行(い)}きました。@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は@{思(おも)}い{切(き)}って[{頑張(がんば)}って]{戦(たたか)}いましたが@{銃弾(じゅうだん)}[{銃(じゅう)}の{弾(たま)}]にあたって{亡(な)}くなりました。@{土方歳三(ひじかたとしぞう)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]の{人生(じんせい)}はたくさんの{変化(へんか)}がありました。35{歳(さい)}で{亡(な)}くなりました。  

大エリア 函館市
小エリア 西部地区
所在地函館市若松町33(若松緑地内)
制作時代 昭和
主題時代 明治
カテゴリ やさしい日本語(観光), 歴史, 碑・像