シャルトル聖パウロ修道女会墓地/函館市の社会福祉事業の先駆者、スール・マリ・オネジムここに眠る
ハコダテシノシャカイフクシジギョウノセンクシャ、スール・マリ・オネジムココニネムル
■観光説明板
明治11年(1878年)5月、スール・マリ・オネジムは2人のスール(修道女)と共にフランスのシャルトル聖パウロ修道女会から派遣され、元町にて孤児院・医療院・子女の学校を始め社会福祉事業のために貢献しました。
多くの孤児を養育し困窮者を救った功績に対し、昭和3年(1928年)5月にはフランス大統領から銀製賞牌が授けられました。
スール・マリ・オネジムは全国の白百合学園の発祥の地、函館白百合学園の創設者でもあります。
この墓地には他に8人のスールが永眠しております。
函館市
Sister Marie Onesime,a pioneer of social welfare services in Hakodate,rests here in peace
In May 1878,Sister Marie Onesime and two other sisters were sent from the Congregation of the Sisters of St.Paul de Chartres in France.Here in Motomachi,they established an orphanage,a medical clinic,and a school for children.Their contribution to the social welfare services brought the medal of Silver (the Medal of Honor) from the President of France in May 1928.
These three sisters,who were the founders of Hakodate Shirayuri Gakuen,and six other sisters are buried in this cemetery.
City of Hakodate
1878{年(ねん)}5{月(がつ)}、@フランス[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}。{西洋(せいよう)}の{西(にし)}にある{国(くに)}。]の シャルトル{聖(せい)}パウロ{修道女会(しゅうどうじょかい)}[イタリアにあるキリスト{教(きょう)}の{修道女(しゅうどうじょ)}の{集(あつ)}まり]は@スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]と2{人(り)}の@{修道女(しゅうどうじょ)}[ キリスト{教(きょう)}の{教(おし)}えを{守(まも)}り、{一緒(いっしょ)}に{生活(せいかつ)}をしている{女(おんな)}の{人(ひと)}たち]を{函館(はこだて)}に{送(おく)}りました。@スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]たちは@{元町(もとまち)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}。{函館(はこだて)}の{町(まち)}。]で@{孤児院(こじいん)}[{育(そだ)}ててくれる{大人(おとな)}がいない{子供(こども)}がいる{場所(ばしょ)}]、{病院(びょういん)}、{子供(こども)}の{学校(がっこう)}を{作(つく)}りました。@スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]たちは{函館(はこだて)}に{住(す)}む{人(ひと)}たちのための{力(ちから)}になりました。
@フランス{大統領(だいとうりょう)}[フランスで {一番(いちばん)}{立場(たちば)}が{高(たか)}い{人(ひと)}]は スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]らに{賞(しょう)}をあげました。たくさん@{孤児(こじ)}[{育(そだ)}ててくれる{大人(おとな)}がいない{子供(こども)}]を{育(そだ)}て、お{金(かね)}に{困(こま)}っている{人(ひと)}を{助(たす)}けたからです。
スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は、 函館白百合学園(はこだてしらゆりがくえん)[ キリスト 教(きょう)の 学校(がっこう)のひとつ]をつくりました。
{函館白百合学園(はこだてしらゆりがくえん)}は、{日本全国(にほんぜんこく)}にある{白百合学園(しらゆりがくえん)}の{最初(さいしょ)}の{学校(がっこう)}です。お@{墓(はか)}[{亡(な)}くなった{人(ひと)}のための{場所(ばしょ)}]には@スール・マリ・オネジム[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]と8{人(にん)}の{修道女(しゅうどうじょ)}が{入(はい)}っています。