厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院
ゲンリツシトーカイテンシノセイボトラピスチヌシュウドウイン
■観光説明板
天使の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31(1898)年、フランスのウプシーにある修道院から8名の修道女が来たのが始まりである。キリスト教伝道のためには、修道院の精神的援助が必要であると、函館教区長ベルリオーズ司教が要請していたものであった。
草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランスから、引き揚げが伝えられるほどであった。
現在の建物は大部分が大正14(1925)年の火災後、昭和2(1927)年に再建されたものである。
函館市
THE TRAPPISTlNE CONVENT organized by Citeaux Order
Our Lady of the Angels’ Convent,The Trappistine Convent,was founded in 1898 by eight French nuns who came from the convent in Ubexy (France).Bishop Berlioz of the Hakodate diocese asked them to come because he felt there was a great need to spread Christianity.
The nun’s living conditions at the beginning were very poor,so much so,that the headquarters in France was considering to recall their nuns.
Most of the present building was reconstructed in 1927 after being burnt down in 1925.
CITY OF HAKODATE
キリスト 教(きょう)をみんなに 伝(つた)えるためには、みんなの 心(こころ)を 助(たす)けてくれるような 修道院(しゅうどういん)[ キリスト 教(きょう)を 信(しん)じて 一緒(いっしょ)に 生活(せいかつ)する 場所(ばしょ)] が 必要(ひつよう)でした。 べルリオーズ[ 人(ひと)の 名前(なまえ)。 函館(はこだて)のカトリック 教会(きょうかい)で1 番(ばん)えらい 人(ひと)] は、そんな 修道院(しゅうどういん)を 作(つく)りたいと 思(おも)いました。そこで、フランス[ 西洋(せいよう)の 西(にし)にある 国(くに)]の@ウプシー[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)]にある 修道院(しゅうどういん)にお 願(ねが)いして、1898 年(ねん)に、フランス[ 西洋(せいよう)の 西(にし)にある 国(くに)]の 修道院(しゅうどういん)から8 人(にん)の 修道女(しゅうどうじょ)[ キリスト 教(きょう)を 信(しん)じる 女(おんな)の 人(ひと)]が 来(き)ました。この 人(ひと)たちは 修道院(しゅうどういん)を 作(つく)りました。これが、 天使(てんし)[ 神(かみ)と 人(ひと)をつなぐ 存在(そんざい)]の 聖母(せいぼ)[マリア]トラピスチヌ 修道院(しゅうどういん)です。
この 修道院(しゅうどういん)ができた 最初(さいしょ)は、 修道女(しゅうどうじょ)たちの 生活(せいかつ)は 本当(ほんとう)に 大変(たいへん)でした。 大変(たいへん)だったので、フランス[ 西洋(せいよう)の 西(にし)にある 国(くに)]の 修道院(しゅうどういん)は 修道女(しゅうどうじょ)たちのことをとても 心配(しんぱい)して、フランス[ 西洋(せいよう)の 西(にし)にある 国(くに)]に 帰(かえ)ってくるように 言(い)いました。
今(いま)の 建物(たてもの)のほとんどは1925 年(ねん)に 焼(や)けました。そのため、1927 年(ねん)に 新(あたら)しく 建(た)てました。