東本願寺函館別院
ヒガシホンガンジハコダテベツイン
■観光説明板
この寺院は、宝永6年(1709年)木古内町泉沢に建てられた堂宇(どうう)が移され、浄玄寺(じょうげんじ)と称したのが始まりで、安政5年(1858年)本願寺の掛所(かけしょ)となった。その後、幾度かの火災で焼失したが、明治9年(1876年)に東本願寺函館別院となり、現在地に移転したのは明治12年(1879年)である。
ここで明治40年(1907年)の大火で焼失したため、耐火建築により再建することになった。大正4年(1915年)完成した現在の本堂は、わが国最初の鉄筋コンクリート寺院として知られており、コンクリート造りではあるが、伝統的な本堂の形式を踏まえた造りになっている。建築当初、人々に踏まれた土砂で寺院が建てられるとは、ご先祖様に申し訳ないとか、大きな屋根が鉄筋やコンクリートでもつだろうかと不安の声が上がり、寄付金が思うように集まらなかったことから、芸者を高床に上げて手踊りをさせ、安心させたなどのエピソードもあり、苦心の末、完成にこぎつけたという。平成19年(2007年) 12月4日、国の重要文化財に指定された。
函館市
Higashi Honganji Temple Hakodate Branch
This temple was originally a small Amida hall built in Izumisawa,a small fishing village some 30 km southwest of her.In 1709 it was relocated to Hakodate and named Jogenji Temple.In 1858 it became a branch of Honganji Temple.It was repeatedly destroyed by fires and its name was changed to Higashi Honganji Temple Hakodate Branch in 1876.It was moved to its present location three years later.
After being destroyed in the devastating fire of 1907,it was rebuilt in its traditional form with reinforced concrete in 1915 as a safeguard against further fires.It became well known as the first reinforced concrete Temple built in Japan.
At first,some followers thought that it might be sacrilegious to build a sacred hall using materials which people had stepped on and made impure,and others wondered if the new construction method was strong enough to support the Temple’s huge roof.To collect donations for its construction,those concerned hired some geisha women to dance on the floor to demonstrate the strength of reinforced concrete.
In December 2007 it was designated as a National Important Cultural Property.
City of Hakodate
この{寺(てら)}は1709{年(ねん)}に 木古内町泉沢(きこないちょういずみさわ)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)]から{函館(はこだて)}に 堂宇(どうう)[ 儀式(ぎしき)を 行(おこな)うための 建物(たてもの)]の{場所(ばしょ)}を{変(か)}えました。{最初(さいしょ)}は 浄玄寺(じょうげんじ)という{名前(なまえ)}でした。1858{年(ねん)}に 本願寺(ほんがんじ)[ 寺(てら)の 名前(なまえ)]の 掛所(かけしょ)[ 離(はな)れた 場所(ばしょ)にある 寺(てら)]になりました。そのあと、{何回(なんかい)}か{火事(かじ)}になって{寺(てら)}が{燃(も)}えました。1876{年(ねん)}に{東本願寺函館別院(ひがしほんがんじはこだてべついん)}になりました。1879{年(ねん)}に{今(いま)}の{場所(ばしょ)}に{変(か)}わりました。1907{年(ねん)}に{大(おお)}きな{火事(かじ)}で{寺(てら)}が{燃(も)}えたので、{火事(かじ)}になりにくい{方法(ほうほう)}でもう{一度(いちど)}つくりました。1915{年(ねん)}にできた 本堂(ほんどう)[{寺(てら)}の{中(なか)}で{一番(いちばん)}{大事(だいじ)}な{建物(たてもの)}]は{日本(にほん)}で{最初(さいしょ)}の 鉄筋(てっきん)コンクリート[ 普通(ふつう)のコンクリートよりも、 強(つよ)いコンクリート]でできた{寺(てら)}です。 コンクリート[ 工事(こうじ)で 使(つか)う 土(つち)と 砂(すな)]でできていますが、{昔(むかし)}からある{作(つく)}り{方(かた)}と{同(おな)}じつくりです。{東本願寺(ひがしほんがんじ)}ができてすぐは、{人(ひと)}が{踏(ふ)}んだ{土(つち)}や{砂(すな)}で{寺(てら)}ができるのはよくないと{思(おも)}う{人(ひと)}がいました。また{大(おお)}きな{屋根(やね)}が 鉄筋(てっきん)[ 鉄(てつ)でできた 棒(ぼう)]やコンクリートで{支(ささ)}えることができるのか{不安(ふあん)}な{人(ひと)}もいました。だからお{金(かね)}をもらうことがあまりできなくて{大変(たいへん)}でした。 芸者(げいしゃ)[ 踊(おど)ったり、 歌(うた)を 歌(うた)ったりする 人(ひと)]が 高床(たかゆか)[ 高(たか)い 柱(はしら)の 上(うえ)の 床(ゆか)]で{踊(おど)}って、{人々(ひとびと)}を{安心(あんしん)}させたという{話(はなし)}があります。{多(おお)}くの{問題(もんだい)}がありましたが、{東本願寺(ひがしほんがんじ)}は{完成(かんせい)}しました。2007{年(ねん)}12{月(つき)}4{日(にち)}に{日本(にほん)}の 重要文化財(じゅうようぶんかざい)[ 文化(ぶんか)を 伝(つた)えるために 特(とく)に 大切(たいせつ)なもの]になりました。