函館ハリストス正教会

ハコダテハリストスセイキョウカイ

■観光説明板

安政6年(1859年)敷地内に建てられた初代ロシア領事館の附属聖堂として建立されたのが始まりで、正しくは「函館復活聖堂」という。
文久元年(1861年)青年司祭ニコライが、ロシアから来函し切支丹解禁を待って日本で最初にギリシャ正教を布教した。<明治5年(1872年)東京転任>
明治40年(1907年)大火で類焼したが、大正5年(1916年)聖堂はロシア風ビザンチン様式で再建された。
この聖堂内部に、円天井を装架しているのがこの様式の特徴である。屋根に装置された数多くの十字架とその装飾部を飾る冠状構造が独特の形状をつくっており、緑色の銅板屋根は昭和43年に改装され、緑青を科学的に熟成したものである。
再建当時の大鏡(重さ約2トン)は、大正12年(1923年)関東大震災で大破した東京ニコライ堂復興の際に移され、かわりに大小6個1組の鐘と交換された。リズムと共にメロディを送る音色から「ガンガン寺」として市民に親しまれたが、この鐘も戦時中供出した。
現在の鐘は、三重県桑名市在住の美術鋳造家から昭和58年6月に献納されたものである。
昭和58年6月、国の重要文化財に指定された。

函館市

THE RUSSIAN ORTHODOX CHURCH

This dates from 1859 when it was built as a temple attached to the first Russian Consulate.It was formerly called “Hakodate Sanctuary of the Resurrection”.
In 1869 the young prist Nicholei came to Hakodate from Russia to propagate the Russian Orthodox Church for the first time in Japan after the embargo on early Christianity in Japan was removed. (He was transeferred to Tokyo in 1872.)
In 1907 it suffered a disastrous fire and was rebuilt in 1916 in the Russian Byzantine style of architecture.
The domed ceiling inside this temple was of characteristic design.
The crown like structure with many crosses on the roots and decorations is unique the green copper roof was repaired in 1968 and the blue-green hue was created chemically.The 2 ton bell was moved to Nicholei Hall in Tokyo which had been damaged by the Kanto Earthquake in 1923.It was exchanged for 6 bells,large and small,people loved this church and called it “Gangan dera” meaning the melody of ringing bells.These bells were handed over to the gorvernment us e during the war.The presant bell was given by a master caster from Kuwana city in Mie prefecture in June 1983.
This chuch was designated as an important cultural asset in June 1983.

The City of Hakodate

■やさしい日本語

ハリストス 正教会(せいきょうかい)は、1859年(ねん)に 函館(はこだて)で 最初(さいしょ)の @ロシア{領事館(りょうじかん)}[ 建物(たてもの)の 名前(なまえ)。 自分(じぶん)の 国(くに)と 外国(がいこく)をつなぐ 仕事(しごと)をする 人(ひと)がいるところ]といっしょに できました。 正(ただ)しい 名前(なまえ)は「 函館復活聖堂(はこだてふっかつせいどう)」と 言(い)います。
1861年(ねん)、司祭(しさい) ニコライ[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]が ロシアから 函館(はこだて)に 来(き)ました。 ニコライ[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は キリスト 教(きょう)の 禁止(きんし)が 解(と)けた 後(あと)、日本(にほん)で 最初(さいしょ)に @ギリシャ{正教(せいきょう)}[ キリスト 教(きょう)の1つ]を 伝(つた)えました。
ハリストス 正教会(せいきょうかい)は1872年(ねん)に 東京(とうきょう)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 日本(にほん)で 一番大(いちばんおお)きい 都市(とし)]に 移(うつ)りました。
1907年(ねん)に 函館(はこだて)で 大(おお)きな 火事(かじ)が 起(お)こり、ハリストス 正教会(せいきょうかい)は 焼(や)けてしまいました。しかし、1916年(ねん)に  ロシアでできた @ビザンチン{様式(ようしき)}[1500年前(ねんまえ)にできた 建物(たてもの)の 作(つく)り 方(かた)]でもういちど 建(た)てました。
この 建物(たてもの)の 特徴(とくちょう)は、中(なか)にある 丸(まる)い 天井(てんじょう)です。 屋根(やね)にあるたくさんの 十字架(じゅうじか)[ キリスト 教(きょう)を 表(あらわ)すもの]と、十字架(じゅうじか)の 飾(かざ)りは 変(か)わった 形(かたち)をしています。1968年(ねん)に 緑色(みどりいろ)の 銅板屋根(どうばんやね)[ 銅(どう)でできた 屋根(やね)]と 緑青(ろくしょう)[ 銅(どう)が 古(ふる)くなったところ]を 直(なお)しました。
もういちど 建(た)てた 時(とき)には 重(おも)さが2トンある 大(おお)きな 鏡(かがみ)がありました。この 鏡(かがみ)は、1923年(ねん)の 関東大震災(かんとうだいしんさい)[ 東京(とうきょう)とその 周(まわ)りで 起(お)きた 大(おお)きな 地震(じしん)]で 壊(こわ)れた 東京(とうきょう)ニコライ 堂(どう)を 直(なお)す 時(とき)に、6個(こ)の 鐘(かね)[ 音(おと)を 出(だ)す 金属(きんぞく)の 道具(どうぐ)]と 交換(こうかん)しました。 人々(ひとびと)は 鐘(かね)の 音(おと)から「 ガンガン 寺(でら)」と 呼(よ)び 、大切(たいせつ)にしました。しかし、これらの 鐘(かね)は 政府(せいふ)が 戦争(せんそう)の 時(とき)に  持(も)って 行(い)ってしまいました。 戦争(せんそう)で 使(つか)う 道具(どうぐ)を 作(つく)るためです。
今(いま)の 鐘(かね)は、三重県桑名市(みえけんくわなし)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)]に 住(す)む 美術家(びじゅつか)[ 絵(え)や 物(もの)を 作(つく)る 人(ひと)]から1983年(ねん)6 月(がつ)にもらったものです。そして、同(おな)じ 時(とき)に 日本(にほん)の 重要文化財(じゅうようぶんかざい)[ 文化(ぶんか)を 伝(つた)えるために 特(とく)に 大切(たいせつ)なもの]になりました