旧アメリカ領事館跡

キュウアメリカリョウジカンアト

■観光説明板

安政元年(1854)に締結された日米和親条約を端緒に、伊豆下田とともに箱館は諸外国との窓口として翌年開港されました。
安政4年の春、合衆国貿易事務官エリシャ・E・ライスが鯨猟船に乗って来港し、浄玄寺(現在の元町公園の下辺からここ弥生小学校あたり、当時の第1大区1小区富岡町14番地)の別堂を借り受け、星条旗を掲げ貿易事務所を開設しました。
以来、ライスは箱館に出入港する米国船舶の利益を守り、かつ在留する米国民の保護・取り締まりにあたり、日米間の融和を計り、のち1865年にライスは、初代米国領事に任命されました。
明治9年(1876)領事館は一時閉鎖されて横浜領事館の管轄となり、その後、現在の元町4番の遺愛幼稚園(ハリストス正教会の北隣)、さらに現在の船見町3番(咬菜園跡東側)に移転し、それぞれ領事代理に委嘱された宣教師や商人たちが自宅を領事館として執務しました。
アメリカ領事館が函館における役割を終え、正式に閉鎖されたのは、大正7年(1918)11月15日でありました。

函館市

HISTORIC SITE OF THE FORMER CONSULATE OF THE UNITED STATES

The port of Hakodate1,together with Shimoda (Izu),was first opened to foreign shipping in 1855 under the terms of the 1854 Treaty of Kanagawa between the United States and Japan.
In the spring of 1858 U.S. Commercial Agent Elisha E.Rice arrived aboard a whaler in Hakodate and established a Commercial Office under the Stars and Stripes.The site was the monks’ quarterat Jogenji Temple,which was in the vincinity of this signbord, between the present-day Under the Motomachi Park and Yayoi Elementary school.
During his sojourn,Rice’s duties included protecting the interests of American vessels and residents in Hakodate and promoting harmonious relations between the U.S. and Japan.In 1865, Rice was commissioned as the first U.S. Consul in Hakodate.
In 1876,the Consulate was temporarily closed,and Hakodate transferred to the jurisdiction of the U.S. Consulate in Yokohama.Later,the Consulate was reopened and operated at such places as Motomachi no.4 (the north side of the Orthodox Church,currently Iai Kindergarten) and Funami-cho no.3 (east of the old Kosaien garden).In these locations,American missonaries and merchants were commissioned as Consular Agents operating from their private residences.
The U.S. Consulate in Hakodate was officialy closed on November15,1918.

The City of Hakodate

■やさしい日本語

1854年(ねん)に 日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)[ 日本(にほん)とアメリカが 結(むす)んだ 平和(へいわ)のための 約束(やくそく)]を 結(むす)びました。その 時(とき)に、伊豆下田(いずしもだ)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 静岡県(しずおかけん)の 伊豆半島(いずはんとう)の 南(みなみ)にある。 今(いま)の 下田市(しもだし)]と 一緒(いっしょ)に 箱館(はこだて)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 昔(むかし)の 函館(むかし)の 名前(なまえ)]は 外国(がいこく)との 玄関口(げんかんぐち)として 次(つぎ)の 年(とし)の1855 年(ねん)、港(みなと)が 開(ひら)きました。
1857 年(ねん)の 春(はる)に、アメリカの 貿易事務官(ぼうえきじむかん)[ 手紙(てがみ)の 整理(せいり)などをする 人(ひと)]の エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)。Elisha.E. Rice]が 船(ふね)に 乗(の)って 箱館(はこだて)に 来(き)ました。 エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は、浄玄寺(じょうげんじ)[ 寺(てら)の 名前(なまえ)]の 建物(たてもの)を 借(か)りて、アメリカの 旗(はた)を 飾(かざ)り、 貿易(ぼうえき)[ 他(ほか)の 国(くに)に 物(もの)などを 売(う)るか、 買(か)うこと] 事務所(じむしょ)を 始(はじ)めました。
それから、 エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は 箱館(はこだて)に 来(く)るアメリカ 船(せん)の 利益(りえき)[ 得(とく)になること]を 守(まも)りました。また、 エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は 函館(はこだて)にいるアメリカ 人(じん)を 守(まも)ったり、 決(き)まっていることを 守(まも)らせたりしました。そして、 エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は、アメリカと 日本(にほん)の 関係(かんけい)をよくしました。そのあと、1865 年(ねん)に エリシャ・E・ライス[ 人(ひと)の 名前(なまえ)]は、日本で 初(はじ)めてのアメリカ 領事(りょうじ)[ 自分(じぶん)の 国(くに)と 外国(がいこく)をつなぐ 仕事(しごと)をする 人(ひと)]になりました。
1876年(ねん)に 領事館(りょうじかん)[ 自分(じぶん)の 国(くに)と 外国(がいこく)をつなぐ 仕事(しごと)をする 人(ひと)がいるところ]は 一度(いちど) 閉(し)まりました。そして 横浜(よこはま)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 神奈川県(かながわけん)にある 町(まち)] 領事館(りょうじかん)のものになりました。そのあと、今(いま)の 元町(もとまち)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 函館(はこだて)にある 町(まち)]4 番(ばん)の 遺愛幼稚園(いあいようちえん)(ハリストス 正教会(せいきょうかい)の 北側(きたがわ)の 隣(となり))に 場所(ばしょ)を 変(か)えました。 次(つぎ)に 船見町(ふなみまち)[ 場所(ばしょ)の 名前(なまえ)。 函館(はこだて)にある 町(まち)]3 番(ばん)( 咬菜園跡(こうさいえんあと)の 東側(ひだりがわ))に 場所(ばしょ)を 変(か)えました。 領事(りょうじ)の 代(か)わりになった 宣教師(せんきょうし)[ キリスト 教(きょう)などを 外国(がいこく)に 伝(つた)える 仕事(しごと)]や、 物(もの)を 売(う)る 人(ひと)たちが 自分(じぶん)の 家(いえ)を 領事館(りょうじかん)にして 仕事(しごと)をしました。
1918年(ねん)の11月(がつ)15日(にち)にアメリカ 領事館(りょうじかん)の 函館(はこだて)での 仕事(しごと)が 終(お)わりました。そして 建物(たてもの)は 使(つか)われなくなりました。