函館検疫所台町措置場(旧函館消毒所)跡
ハコダテケンエキショダイマチソチジョウ(キュウハコダテケンエキショ)
■観光説明板
明治18年(1885年)、内務省は防疫体制の強化を図るため、当時の主要6港(函館、横浜、神戸、下関、長崎、新潟)に日本で最初の常設消毒所を建設しました。函館では現在地に施設が建てられ、唯一残ったこの建物は事務所として使用されたものです。
明治29年(1896年)3月、函館検疫所と改称され業務をおこなってきましたが、特に昭和20年(1945年)には、敗戦により樺太方面などからの引揚者の検疫にあたり、医療や援護にと活躍しました。
昭和43年(1968年)、検疫所は市内海岸町に落成した港湾合同庁舎内に移転し、平成4年にこの施設も廃止されました。
施設の中で唯一残ったこの事務所は、全国的にも数少ない初期港湾施設の遺構として、平成元年に市の景観形成指定建築物となっています。
函館市
The Hakodate Quarantine Office in Dai-machi (Former Hakodate Disinfections Office)
In order to strengthen the epidemic preventative measures,in 1885,the Interior Ministry established disinfections facilities in the following major trading ports:Hakodate,Niigata,Yokohama,Kobe,Shimonoseki and Nagasaki.This is where the facility was built in Hakodate.The only remaining building on the site was used as its main office.
It was renamed as the Hakodate Quarantine Office in March of 1896.Especially during the period following the end of the Second World War in 1945,it played an important role in the medical treatment and support of repatriates to Japan from Sakhalin.
The Hakodate Quarantine Office was annexed to the Joint Government Port Building in Kaigan-cho in 1968,and the facility here was demised altogether in 1992.
The building was designated as a historical building by the City of Hakodate in 1989 and represents as one of the few remnants of early port facility architecture in Japan.
CITY OF HAKODATE
1885{年(ねん)}、@{内務省(ないむしょう)}[{日本(にほん)}の{政治(せいじ)}を{行(おこな)}う{場所(ばしょ)}]は{日本(にほん)}で{初(はじ)}めていつでも{使(つか)}える@{消毒所(しょうどくしょ)}[いろいろなものをきれいにする{場所(ばしょ)}]を{建(た)}てました。{日本(にほん)}を{病気(びょうき)}から{守(まも)}るためです。@{内務省(ないむしょう)}[{日本(にほん)}の{政治(せいじ)}を{行(おこな)}う{場所(ばしょ)}]は@{消毒所(しょうどくしょ)}[いろいろなものをきれいにする{場所(ばしょ)}]を{大(おお)}きい{港(みなと)}( @{函館(はこだて)}[ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ]、@{横浜(よこはま)}[ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ]、@{神戸(こうべ)}[ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ]、@{下関(しものせき)}[ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ]、@{長崎(ながさき)}[ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ]、@{新潟(にいがた)} [ {場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)} ] )に{建(た)}てました。{函館(はこだて)}の@{消毒所(しょうどくしょ)}[いろいろなものをきれいにする{場所(ばしょ)}]は@{船見町(ふなみちょう)}[{場所(ばしょ)}の{名前(なまえ)}]に{建(た)}ちました。{今(いま)}ある{建物(たてもの)}は{事務所(じむしょ)}でした。1896{年(ねん)}3{月(がつ)}、{函館検疫所(はこだてけんえきしょ)}という{名前(なまえ)}に{変(か)}わりました。1945{年(ねん)}に{戦争(せんそう)}が{終(おわ)}ったときには、けがを{治(なお)}すために{使(つか)}いました。1968{年(ねん)}に、{函館検疫所(はこだてけんえきしょ)}は@{港湾合同庁舎(こうわんごうどうちょうしゃ)}[{港(みなと)}についての{仕事(しごと)}をする{役所(やくしょ)}が1 つに{集(あつ)}まっているところ]の{中(なか)}に{移(うつ)}りました。1992{年(ねん)}に@{消毒所(しょうどくしょ)}[いろいろなものをきれいにする{場所(ばしょ)}]はなくなりました。1989{年(ねん)}、この{事務所(じむしょ)}は{函館市(はこだてし)}の@{景観形成指定建築物(けいかんけいせいしていけんちくぶつ)}[{良(い)}い{景色(けしき)}のために{必要(ひつよう)}な{建物(たてもの)}]になりました。{海(うみ)}の{近(ちか)}くにある{古(ふる)}い{建物(たてもの)}は{珍(めずら)}しいからです。