天下の号外屋翁の墓

テンカノゴウガイヤオウノハカ

■観光説明板

信濃助治は、明治27年(1894年)6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。
同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまいて“天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていた。
「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。
日清戦争終結後は、戦勝記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人だったので、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されている。

函館市

THE GRAVE OF AN EXTRA EDITION NEWSPAPER DISTRIBUTOR

In June 1894 (Meiji 27) Sukeji Shinano came to Hakodate.He dressed in red from hat to “tabi” socks.
One day in November of the same year,during the Sino-Japanese War (1894-5) Sukeji distributed Hokkai Newspaper’s extra edition news to the citizen on the street and thus made a name for himself as “An extra edition newspaper distributor.”Eventually,he was called “Akafuku”,or “Mr. Red Clothes.”
The reason he dressed in red was because in Bushido,the spirit of samurai,the Chinese character “Sekishin,”or “red heart” represented “sincerity.”
After the Sino-Japanese War,old Sukeji made great effort to visit well-known generals and admirals in every corner of the country to ask for their writings and signatures in celebration of this victory.
He became well known for his eccentric habits,and the local newspaper introduced him as a man of unusual character.

CITY OF HAKODATE

■やさしい日本語

@{信濃助治(しなのすけじ)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は、1894{年(ねん)}6{月(がつ)}に、{衣類(いるい)}・コート・ぼうし・ @{足袋(たび)}[{日本(にほん)}の{伝統的(でんとうてき)}な、{昔(むかし)}のくつしたのようなもの]まですべて{赤(あか)}で{函館(はこだて)}に{来(き)}ました。
おなじ{年(とし)}の11{月(がつ)}の @{日清戦争(にっしんせんそう)} [1894{年(ねん)}から1895{年(ねん)}に{起(お)}こった、{日本(にほん)}と{清(しん)}({今(いま)}の{中国(ちゅうごく)})の{戦争(せんそう)}]のころ、 @{信濃助治(しなのすけじ)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は“{天下(てんか)}の{号外屋(ごうがいや)}”といって、{北海新聞(ほっかいしんぶん)}の @{号外(ごうがい)}[{新聞(しんぶん)}などで{特別(とくべつ)}に{発行(はっこう)}されるもの]を{函館(はこだて)}に{住(す)}んでいる{人(ひと)}に{売(う)}りました。{人々(ひとびと)}は @{信濃助治(しなのすけじ)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]を「{赤服(あかふく)}」と{呼(よ)}びました。
@{信濃助治(しなのすけじ)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]は「{赤心(せきしん)}」( @いつわり[{嘘(うそ)}]のない{心(こころ)})は{日本(にほん)}の{武道(ぶどう)}の @{精髄(せいずい)}[ものごとの1{番(ばん)}{大切(たいせつ)}なところ]を{表(あらわ)}すとして、すべて{赤色(あかいろ)}を{使(つか)}ったようです。
{日清戦争(にっしんせんそう)}が{終(お)}わった{後(あと)}は、{日本(にほん)}が{勝(か)}った{思(おも)}い{出(で)}を{残(のこ)}すために、{日本中(にほんじゅう)}を{訪(たず)}ねて{有名(ゆうめい)}な{軍人(ぐんじん)}に{書(しょ)}を{頼(たの)}むなどしました。そのように{変(へん)}な{行動(こうどう)}が{多(おお)}い{人(ひと)}だったので、その{時(とき)}の{地元(じもと)}の{新聞(しんぶん)}は @{信濃助治(しなのすけじ)}[{人(ひと)}の{名前(なまえ)}]を{変(へん)}な{人(ひと)}として{紹介(しょうかい)}しています。